一人で音楽スタジオを運営する

 団結会は実施されることなく終わりました。

 その夜は、今後一人で運営して収益が上がればバイト君たちに店に入ってもらうといったことを考えました。

 しかし、雇用保険労災保険の変更手続きをおこなっているうちに雇用事務も時間的に馬鹿にはならない、年末調整や源泉徴収票の作成もなれれば簡単なことなのかもしれませんが、初めてやる私としてはおそらく税務署で長々と話さないとわからないだろうと思うと憂鬱でした。「他にも学ばなければならないことも多くあるのに」

 やはりここは「一旦やめてもらおう」と決心しました。背に腹は変えられません私の時間は有限でありしかも心は追い詰められています。このことは土日を挟んで、バイト君たちに電話で話して説明しました。いい加減なやつだと思われ反論を言われるかと思いましたが、皆さん承知をしてくれました。中には今後のアドバイスをくれる人もいて感謝しています。

 それからは、店の準備になります。機材等の技術的なアドバイスは、『I』さんに受けることができるようになり一番不安に思っていたところはクリアーできました。機材はとりあえず動くことがわかりました。他のことは考えればわかることなので、『I』さんからのアドバイスも有り一ヶ月スタジオ代無料としてプレオープンすることにしました。

 店のことは、バイト任せで考えていてある程度考えていましたが、自分で一人で準備すると多くのことに気付かされました。何処に何を置くのか、何処に何が置いてあるの


、配線や、スイッチ類の確認、当たり前のことだけどこれをしていないと実際店をオープンしたときにお客さんの問い合わせに対応することができません。結果的には一人で準備したことはよかったと思っています。

 次は収益について書こうと思います。

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前オーナーとの決別

 10月6日団結会の前日にとある情報を耳にしました。挨拶のため行った隣の隣の方『I』さんからです。

Iさん:「ずっと『T』と一緒だったのでなかなか話せませんでしたけど彼のことを聞いていますか?」

私:「いいえ」

Iさん:「ところでスタジオいくらで買ったんですか?」

私:「約900万円で買いました。(居抜き費用600万、内部機材代220万、レンタル楽器64万)稼働率70%と聞いて採算が合うように聞いています。」

Iさん:「私と近くで観ていましたけどそんなにないですよ。騙されてますね。『T』のもとに借金の取りたてらしき人が来ているので声をかけて聞いていますが『T』は、どうも訴えられた裁判にも出頭せずいるらしいです。(裁判関係の資料のコピーを見せて)ほら名前も一字変えているでしょう!」

私:「え!!」

Iさん:『T』はしばらくスタジオには関わっておらず別れた奥さんがやってました。」

私:「え!!一緒にいた人は奥さんではないのですか?」(確かに一緒に話を聞いていても店のことやってたのかな?って思うところがあった。ただ何か病気を持っているため常に一緒にいないといけないと思っていた。)(店を譲る理由は、奥さんが病気になって店に立てなくなったからでありこのひとが病気というのとスタジオを休んでいることは一致すると思っていた。)

Iさん:「どのこ人かはわかりません」「前の奥さんはよく知っています。」

私:目の前が真っ暗になりました。

その後、私の事情と、スタジオの状況などを話、少なくとも悠長にバイトを雇って運営していけるような状態ではないことことがわかりました。しかし明日は、団結会これを過ぎては成り行き上、バイトに説明していた時間雇うことは知らせるのは難しい、一人一人に説明するのは大変でありなんとか団結会前にしなければなりませんでした。

 とりあえず気持ちをなんとか保って家に帰りました。妻に説明なんかできませんでした。しかしながらまずはバイトの人達のことが気になりました。変に期待させると可愛そうだと思ってました。何とかしないと、何とかしないとと気は焦りましたが時間がすぎる中「自営業って自分で決めていかないといけない。」と思い結論を出しました。

 結論は、バイトの人達の前で喧嘩をして関係を見せる。」

 団結会の前に1時間ほどミーティングを予定していましたが、そこの到着する前の車の中で(『T』は、車を持っていなかったため家とスタジオの移動や買い物は私が車で送っていた。)売上の件とバイトを雇っていて本当に大丈夫なのか?売上の過去の実績がわかるものを見せてくれ(本当はこれをチェックしなかったのはあまあまです。)と詰め寄りました。「予約システムを止めた」とか「白色申告なので帳簿はない」だとか言っていたのですが、「なんとか分かるものを示してくれ」と食い下がり険悪のムードを作りました。スタジオに着く前に「私が信用できないのであれば勝手にすればいいではないか!!」というところまでいき、スタジオ到着後はバイトの集まりを待って「T」から説明をし「◯◯(私のこと)さんとは信頼関係壊れたので私はこのまま支援することはできない。本日予約していた団結会もキャンセルする。」そのあと『T』は出ていきました。

 バイトの人達は、鳩に豆鉄砲状態でしたがこのままでは行かないなとは思っていたと思います。追い打ちをかけるように売上に関して信頼できないことから常時1名バイトを置くなんてことはできない。しばらくは、一人でやって週に数時間私の休みに出てもらうようなことになると伝え解散しました。

 次は、スタジオを一人でやっていくことについて書きたいと思います。

 

順風満帆に見える開業準備

 20✕✕年8月某日退職をしました。

 退職前に店の名前やロゴの発注中を行いました。クラウドソージングを使って決めました。限らせた組織の中で業務を進めてきた私にとっては、驚きと世界の広がりを感じていました。店のテーマやバイトの編成、レンタル器材についてスタジオの運営を具体的に思い浮かべて夢を膨らまして行きました。店のロゴの変更に伴い看板の変更や店の中の照明を変更に関して業者と調整して決めていく作業はワクワクと興奮を更に煽りました。実際にできてきた看板はかっこいいものだし照明も効果的なものでした。

 当初は9月1日オープンということで動いていました。しかしながら電話の設置が8月31日でこの通信会社は、速さを売り物にするところでしたが設置が非常に遅そかったです。(極力手続き事務を少なくすることで値段を安くしているのだと思います。チャット中心の対応で問い合わせ電話を探すのにが苦労しました。相当探しました。)前オーナー『T』とも話し更に1ヶ月遅らすことにしました。退職から2ヶ月後でした。その間はまだ非常事態宣言下でありオープンは某月8日(大安日)にすることにしました。その間『T』は必要な教育を称して1週1回のレクチャーを行いました。バイトは5名雇うことにしました。スタッフの編成は、私とバイトが1名でその1名をシフトすることにしました。したがって人数が増えても払う人件費は同じだったんでローテーションを考えて5名を選択しました。(3名を基本として、2名は別のバイトとの掛け持ちだったのその組み合わせ)考えればぬるい教育でした。機材のことは経験あるバイトに任せまあ全般のことを私がやるという役割分担を考えていました。そうこう進めるうち、開業に関して広告を打つ必要があるということで話題になりました。

 とあるレクチャーの終わりにその話し合いが行われ10月8日開始でフライヤー、ポスター、ノボリの作成するとSNSへのSEO(Search Engine Optimization:検索エンジン最適化。)対策などを行うことにしました。

 次のレクチャーの際に出来上がったフライヤーやポスターを『T』やバイトに見せました。ポスターの大きさや内容に関して『T』は「これはだめですよ。」との発言そこで作成に関する反省会を行いました。それと「広告が十分に行えてないと開業は絶対に失敗しますよ。」と言われ開業の延期を提案されました。この場には、バイトの一部しかいなくてこのことはL◯INを通じてその他のバイトにも伝えました。その時来ていなかったバイトからコロコロを開業日を変更する私に不満が溜まったのか労働争議バリの文句が起こりそれを観ていた『T』は「経営権を譲った立場ではありますが、私が〇〇(私のこと)さんの代わりに開業までの業務を行いましょう。」といってバイトの苦情を抑えきれない私は悔しさを感じながらお願いしました。妻は、やや不満に感じましたが「あなたがそれでいいならいいよ。」といってくれありがたさを感じました。

 『T』は、わだかまりを解消するということで団結会を開くことを決めて日程の調整を行い10月8日に決めました。

 まあ自分の無力さを感じながらも開業のために進んでいるのならこれも開業のための試練なのかなと自分を言い聞かせました。

 次は、この『T』との決別について書きます。

 

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スピーカー

事業承継という道

 まずこの仕事についてどうして選んだのかを書きます。

 30数年公務員をしてい中間管理職だったせいもあるのだと思いますが、充実感がありませんでした。まあ立場もそこそこ良くて部下も数人は必ずいる仕事をしていました。総務という職場で総務本来の仕事と他の部署に該当しないことを担当します。正直面倒なのと何かやっても『ありがとう』と言われることをほとんどありません。もれなく仕事をこなす。上級組織から通達されることをもれなく伝えるといったことです。

 ある時、『サラリーマンは300万円で小さな会社を買いなさい』(三戸政和著)という本を読んで経営者人生もいいなあ。もうサラリーマンは嫌だなあと思っていました。

 やめる3年前にこの本を読んでもうサラリーマンはやらないことを決めました。それから退職の1年半前に地元の県に転勤し事業承継活動をはじめました。まずは、県の商工会議所が行っている事業を譲りたい人と事業を引き継ぎたい人をマッチングさせるサービスに登録し物色を進めていました。お役所仕事っぽくてテキパキとはマッチング作業が行われず退職の1年前になり焦りを感じ、民間の事業承継マッチングサイトを活用することになりなんとか良さそうだと思うことが3つほど出てきて応募をしました。

 一つが音楽スタジオ、一つがエステ、一つがサプリメントの販売でした。最後のサブリメントの販売は連絡がつかず、二つ目のエステは立ち上がったばっかりで二つの事業を行うオーナーが一つに集中したいからというのが理由でエステはまだ赤字でした。最初の音楽スタジオは一定の収益があるということだったので、スタジオ管理はオペレーションも簡単だと思もいこれに決めていました。

 早くオーナーと会いたいと思い3月末から接触を図りオーナー『T』と会いました。風貌はミュージシャン風で髪が長くラメの入ったTシャツ姿でやっぱりミュージックを演る人なんだなと思いましたが人柄は良さそうな人で音楽スタジオのことが気に入ってしまいました。月の売上も90万円ほどあり収益が30万円近くと言われたことを信じて良いものを掴んだと思っていました。さらに『実はもう一軒大手から継承を打診されていて手付金をいただければ独占交渉する。』と持ちかけられ強迫観念に駆られた私は150万円を振り込むことにしました。契約もトントン拍子に進み退職金を750万円払い引続ことを決めました。

 退職後の脱サラ生活は、バラ色なことを信じて疑いませんでした。

 次は順風満帆に見えていた開業準備について書きます。

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office

 

はじめましてとある地域にある音楽スタジオのオーナーです。

はじめまして『こうじ』といいます。

 とある地域にある音楽スタジオのオーナーです。以前は公務員をしていましたが定年前に、若干ですが早期退職して事業承継サイトから経営を引き継ぎました。あまちゃん経営者です。

 前向きな人たちに囲まれたて楽しい音楽スタジオオーナー生活を想定していました。『オーナーなんてかっこいいね。』、『家族と月1回温泉旅行に行けたらいいなあ、年1回は海外旅行だ。』残りの人生を謳歌していきたいと思っていました。

 しかし騙されていたようです。実は前のオーナー『』に良いことばかりを言われ、らくらく気分で脱サラできるのかと思っていましたが、現実は厳しいということです。それは『Iさん』というスタジオの隣の隣に人に挨拶に行ったときに気付かされました。

 この人は自分も音楽をやる人であり、このスタジオを使っていた人で状況をよく知っています。その人と話して『T』から聞いていた『稼働率70%』というのは嘘で、稼働率はせいぜい20%くらいだということで全然見込みが違う。(まああまあまの馬鹿ですよね!)ああ想定していた稼ぎが・・家のローンが・・・途方にくれました。家のローンを考えると◯◯してしまったほうが良いのかなんて考えもしました。一晩考えました。〇〇する勇気はないしどうしようかなんとか脱サラすることを許してくれた妻にも申し訳ないネガティブ一色の夜を過ごしました。

 まあ思い直し、どんぶり勘定ですが、平日1万円、土日5万円なんとか稼げれば生きて行けるかと思い命がけでやっていかないと行けないと思いました。そう思わないとやっていけない。『必死』でやらないといけないこといけないこと決意させられました。

 本当ならここで『よし!!必死にやるぞ!!後はないんだ!!』と決意をして締めくくるとこなんだろうけど迷いと不安はなかなか消え去りません。まあでもやっていかなければならないことは事実でここでは必死にやってきたことや音楽スタジオをやってきたことから得られるた知識をお知らせできたらと思います。

 どうかよろしくおねがいします。

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